No.2 医療と介護の事前指示を考える
ノンフィクション・ライター
中澤 まゆみ
それにしても、人はいつ緊急事態に陥るかわかりません。先日、親しい友人のお父さんが脳梗塞を起こして緊急入院し、気管切開をして人工呼吸器をつけ、胃ろうを設置してかろうじて生き延びているという状態になりました。当初はわずかな反応もありましたが、それも次第になくなり、お父さんの意識が戻ったとしても大きな障害が残ると聞いたアメリカ人の友人は、急遽、家族と話し合うために帰国しました。
到着して病院を訪ねた友人が見たのは、びっくりするほど面変わりして、むくんだ体で苦しそうに集中治療室で呼吸を続けるお父さんの姿でした。家族がそろったところで、担当医はこう聞いたそうです。「お父さんの意識が戻る可能性は極めて低いでしょう。尊厳死の選択もありますがどうされますか」
アメリカでは1991年に「患者自己決定法」が制定され、事前指示書が法的拘束力をもっています。ここでは本人、または家族の強い希望があれば、尊厳死も選択のひとつとなる、と決められていますので、担当医からの提案となったわけです。
アメリカでは3割の人がリビング・ウィルを書いていると言われますが、楽天家だった友人のお父さんは書いていませんでした。そこで友人はお母さんと妹と話し合い、「このままの状態で生き続けることをダディは望まないと思う」と意見が一致したため、尊厳死の道を選びました。
最初に胃ろうを通じての栄養、約1週間後に人工呼吸器を止め、その翌日、お父さんは眠るように亡くなりました。2段階のステップを踏んだのは、最初に栄養補給の停止で「自然死」を待ち、さらに家族が望むなら人工呼吸器を止めるというようなガイドラインがあったからだとか。その間、毎日、病院に通いながら、友人は「本当にこれでよかったのか」という気持ちと、お父さんを「早く楽にしてあげたい」という気持ちの間で揺れ動いていたそうです。
友人は日々の報告をメールに綴りながら助言を求めてきたので、「私だったらどうするだろう」という問題を突きつけられながら、終末期医療とその選択について、できる限りの情報と助言を送り続けました。
お父さんを見送って日本に戻ってきた友人は、「まさか、自分がそんな重い選択を迫られることになるとは、夢にも思っていなかった」と言っていましたが、日本だったらどういう過程をたどるのでしょうか