オピニオン/保健指導あれこれ
保健師スピリッツと実践活動

No.3 僕たち、結婚できますか

長野県看護大学名誉教授、 鹿児島大学医学部客員研究員
小西 恵美子
 ある大学理学部の学生実験でエックス線回折実験をしていた3人の学生が指に被曝する事故がありました。1980年代前半のことですが、この事故の意味は今につながっているように思います。

 エックス線回折装置は、細いX線を試料物質に当て、物質の構造を分析する研究用のエックス線装置です。非常に強いX線を出すので、X線ビーム(X線が通っている道筋のことで、線束ともいう)の中に短時間でも指をかざしたりすると大変危険です。しかし当時は、エックス線防護に関心の薄い研究者が多く、胸のレントゲンと同じようなもので問題ないといった風潮だったので、学生たちは指導教員から安全上の注意は受けませんでした。

 年末近いある日、実験で同じグループになった学生3人は、休憩時間にいたずらに及んだのです。何をしたかというと、X線ビームの中に順番に指をさし入れ、うしろに蛍光版を置き、「ヤー骨が映ってる!」と感激したのでした。言うならば、物質照射用のエックス線装置で自分の指を「透視」。

 正月休みになり、学生はそれぞれ帰省します。正月にかけ、指先が赤くなってきたことに気付きますが、しもやけかな、と特に気に留めなかったそうです。しかし、やがて発赤部分が腫れてきて、実験中のいたずらを思い出したのでした。お互いに電話しあい、「お前もそうか」と、3人とも同じ症状であることを知ります。

 休みが明けるや、彼らはそろって私たちの研究室にあらわれました。放射線健康管理学の医師であるY教授の診察を受け、「エックス線回折装置による左第二指の急性放射線皮膚障害」の診断。教授は局所に刺激を与えぬように単軟膏を塗布し、「間もなく水泡になる、毎日来なさい」と指示。私たちはその度に丁寧に包帯交換。

 私たちは現場に行って学生の行動を再現し、線量を測定しました。指の被曝線量は約9グレイ※と評価されました。放射線影響と線量との関係はよくわかっており、この線量の被ばくであると、水泡から潰瘍に進むだろうと予測されました。

※ 放射線治療や事故等による高い線量の被ばくの場合には、線量は「シーベルト(Sv)」ではなく、「グレイ(Gy)」という単位で表される。エックス線やガンマ線の場合には、1Gy=1Svと考えて差し支えない。

 予測どおり、水泡が形成され、それが神経を圧迫するので学生は疼くような痛みを経験。水泡が破れるとともに痛みは引いてゆきましたが、水泡が破れたあとの解放創の感染防止に私たちは神経を使いました。皮膚の損傷は真皮に達して潰瘍になり、浸出液が出ました。Y教授の治療方針は厳重な感染防止と、あらゆる刺激を避けること。学生たちと私たちとの協働作業が続きました。

 結局、潰瘍面は痂疲を形成、創周囲の健康な皮膚が創中心に向かって伸び、創はゆっくりと縮小してゆき、局所は表皮で覆われ、創傷は治癒しました。X線の線量率は短時間で障害を起こすほど高かったけれども、線束が細くて被曝面積が小さかったことは幸いでした。しかし、治癒面は光沢を帯び、まだひ弱そうでした。Y教授は、「当分、指を保護する必要がある。これからも定期的に来なさい」と指示。学生たちは、ここではじめて安堵の色を浮かべました。しかしなお、心につかえるものがある様子。意を決してひとりの学生が口を開きました。「先生、僕たち結婚できますか?」と。

 この問いに対する回答は私たちにまかされました。

 私たちは、彼らの心配が「結婚して子供が持てるのか」、つまり、自分たちの生殖能力は大丈夫なのか、ということであることを確認したうえで、次のことを学生に伝えました。

・ 放射線の影響は、放射線を受けた部位にしかあらわれない。

・ 生殖能力への影響を考える必要があるのは、被ばく部位が生殖腺で、かつ、線量が100ミリグレイよりも高い場合である。

・ あなたたちの被ばく部位は指先だけで、生殖腺は放射線に当たっていない。したがって、結婚も子どもをもつことも全く問題ありません。

 今はもう、この学生たちもリタイアの年。お孫さんと楽しく暮らしている人もいることでしょう。

 被ばくの影響を考えるときは、次を考えることが非常に大事です。

・ 放射線をどこに受けたか(被ばく部位)

・ どのくらい受けたか(線量)

 しかし、人々はこの問いを度外視して放射線を怖がります。なかでも顕著であるのが、子どもができなくなるのではないか(不妊)、奇形児が生まれるのではないか(形態異常発生)、子孫に悪影響が及ぶのではないか(遺伝的影響)、という心配です。

 次世代に関わる気がかりであり、看護職はこれに対して真摯に向き合うことが大切です。そのためには、次のことをしっかりおさえておかなくてはなりません。

・ 不妊が問題になるのは、生殖腺に高い線量を受けた場合である。例えば、生殖腺やその近くの臓器に放射線治療が行われる 場合など。

・ 形態異常の発生は、人間の発生例は認められていないが、動物実験では、器官形成期に放射線による形態異常が起こることが確認されている。したがって、放射線防護の目的では、胎児が器官形成期(受精後3-8週間)にある時に100-200ミリグレイを超える放射線を受けた場合にはその可能性を考えて対処する。
 例えば、腹部CT検査や注腸造影などの、腹部が照射野に入る放射線診断の際には、妊娠の可能性について注意深く問診する必要がある。

・ 遺伝的影響も、人への発生例は認められていない。しかし、動物実験の結果を参考に、放射線防護の観点から、遺伝的影響を考慮した防護基準が設定されている。

 最後に、この事故の意味は「今につながっている」と冒頭に述べたことについてです。 図は、1986年のチェルノブイリ原発事故のあと、ギリシャで出生数が大きく落ち込んだことを示しています。ヨーロッパでは、原発事故で奇形児発生という噂が広がり、子どもをおろす母親がたくさんでたのでした。

 同様の噂や恐れは、福島原発事故後の日本でも広がっています。事故の影響を受けた地域の保健師たちは、そのような噂や不安が、人々の健康データに悪影響となって表れていると、心配していました。

 また、最近は、原発事故で自主避難した中学生の手記が公表され、転校直後からいじめを受けていた深い苦しみが綴られていました。放射線、放射能に対する偏見が、差別やいじめにつながっています。とても悲しく思います。

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