オピニオン/保健指導あれこれ
限りない看護の世界観の追求のなかで

No.3 姑の墓前に「衣替えですよ」と手を合わせる嫁

桐生大学医療保健学部看護学科 教授 保健師
小此木 久美子

 駆け出し保健師の頃の結核訪問の話です。感染症対策の基本を学ぶことは、この病気のある限り続く仕事です。多くの先輩たちが教えてくれる感染症の基本として行った個別訪問の時代も、最近ではそのシステムも大幅に改善されています。

 当時は、地区分担制の中で、疾病別や人口構成など健康指標の把握をしながら年間計画をたて自分で進行管理をしながら進めていました。そこで役立つのが結核管理カードです。病状把握から治療状況、定期健診や家族状況にいたる全ての情報が一枚のカードにもりこまれています。このカードを工夫した先人の方たちに本当に感謝です。

 学生時代、実習先で結核管理カードの誕生までの話を聞いたことがありました。きちんと追求月に訪問することなど、当時言われたことを今でも思い出します。

 ある家庭に訪問して、当人が1ヶ月前になくなっていることを知った時は、そのことを知らなかった自分や、保健師として怠慢であったか否かなどを思い赤面しました。また瞬時に、前任者の保健師の把握した地点からの時間経過、死亡小票が保健所へ届くのに一ヶ月の時間がかかること、人口動態のチェックのことなど、様々なことが頭を巡り反省しました。

 私は、山間部の日当たりの良い農家の軒下に立ち、声を掛けながら空いている土間の奥を見ました。よく見ると掃き掃除もきちんとしている家でした。訪問した際に対応してくれたのは、エプロン姿の女性でした。訪問目的を告げると「お母さんは先月なくなりました。病気は良くなっていたのですが・・・」と言う返事が返ってきました。

 その際お話をした中で、このお嫁さんの言葉が今でも忘れられません。「お母さんはこの病気(結核)になったこと、とても悲観していました。でも、亡くなるときはこの病気が原因ではなかったことが幸でした」と。そして、農村地帯で遅い春に余り寝込まずに逝き、良いお姑だったと言葉をつなげました。また、新米保健師の心の動揺を見るかのように「この病気になるとみんなから・・・ですがお母さんは顔に出さず治療をきちんとしていたんです。辛かったと思います。働き者で家族のことを思う人だったから・・・」と。

 さらに「保健師さん私ね・・・今朝お墓参りしてきたんですよ。夏になったので衣替えだと思って、いつも着てたブラウス一枚を持ってお墓の前でお線香に火を付けたんです。」と。お姑さんのブラウスでお線香に託す祈りを自然にでき、情愛が深く、優しい心遣いのできるお嫁さんに心打たれる思いでした。ふと遺影の写真を見ると閑かに笑っているようにも見えました。人生駆け出しの私には山間部に暮らす家族の心の豊かさが全身に染み渡たりました。

 この頃から「戴きメモ」として訪問で感じたことをメモし始めました。いつしかこのノートに書き込まない保健師になっていましたがこの経験は、新米時代の忘れられない戴いた宝物であり、祈りが究極の看護だと、これ以来追求しつづける自分のスタートとなりました。

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