オピニオン/保健指導あれこれ
「生と死を考える」 保健指導実践者に向けてデーケン先生からのメッセージ

No.2 自殺予防のために何ができるでしょう

上智大学名誉教授
アルフォンス ・デーケン
 子どもに対する死の教育について

 子どもが「死」に接する機会として、ペットの死や親族の死、テレビから知る事故やテロによる死などがあります。その際、子どもは母親に「私も死ぬの?お母さんも死ぬの?」といった疑問を持ち質問をしてきます。これは教育の貴重なチャンスだと考えます。

 このとき母親は正直に答えることが必要です。「お母さんも君も必ず死ぬけれども、今一所懸命に生きているから、心配しなくてもいいのよ」と。絶対にウソを言ったり、話題をそらしてしまってはいけません。母親はこの質問から逃げてはいけません。子どもの死の教育には母親の役割が重要ということを強調したいです。

 また、学校の中でいじめによる自殺者が出た場合、自殺に対してきちんと考える教育機会を設けることが大切だと考えます。一度、東京のある学校でいじめによる自殺者が出た際に、学校側に「これは大切な教育機会だ」と提案を持ちかけましたが、「早く忘れましょう」という回答で取り合ってもらえませんでした。生徒たちにとって、こういったことを忘れることはできません。いじめた側は大きな罪意識を持つことでしょう。ですから、予防医学として「いじめはやめましょう」という教育を行うことは効果的だと考えます。

 死を子どもたちに教えるときには、目で見られないところに大切なものがあるということを教えなければいけません。日本でも有名な小説「星の王子様」に出てくる一文を紹介します。「世の中には心でしか見えないものがあるし、本当に大事なことは目に映らないのだ」。

 人間にとって愛することと愛されること、また相手に出会うことは一番深い幸福を与える体験で、これが深ければ深いほど死別の別れも辛い体験になります。フランス語の言葉に「Partir, c'est mourir un peu」、訳すと「死別の別れは小さな死」となります。愛する相手が死ねば残された遺族の人にとって小さな死のような体験になります。今まで一緒にいることで豊かな人生を体験できましたが、愛する相手がいないと残された人の人生も乏しいものになりがちで、小さな死のようなに感じます。ですから、悲嘆教育は非常に大切だと思います。

 悲嘆を考える上で、「誰の人生でも一つのドアが閉まれば必ず他のドアが開かれます」とアドバイスしたいです。しかしながら悲劇的なのは、閉まったドアばかりに目を向けて、開かれた他のドアを見ようとしない人がいることです。

 私は、数年前にメルボルンで開かれた国際死別と悲嘆学会に参加しました。その時、他の国の専門家の発表の中に、奥さんが先に亡くなった男性と亡くなっていない男性の死亡率を比べた調査があり、奥さんが先に亡くなった男性の死亡率が、そうでない男性に比べ4倍も高いことがわかりました。予防医学としてもあらかじめ悲嘆教育を提供しなくてはならないと感じました。また、奥さんが先に亡くなるのは本当に無責任なことだと思いました(笑)。

 死別のあとの悲嘆のプロセスも実にさまざまですが、ある程度まで共通するパターンが見られます。私は、それを「悲嘆のプロセスの12段階」に分けて考えています。もちろん、悲嘆を体験するすべての人がこれらの段階を通過するわけではなく、また必ずしもこの順序通りに進行するとも限りません。ときには複数の段階が重なって現れることもあります。下記にて紹介します。

「悲嘆のプロセスの12段階」
  • 1. 精神的打撃と麻酔状態
  • 2. 否認
  • 3. パニック
  • 4. 怒りと不当感
  • 5. 敵意とルサンチマン(うらみ)
  • 6. 罪意識
  • 7. 空想形成、幻想
  • 8. 孤独感と抑うつ
  • 9. 精神的混乱とアパシー(無関心)
  • 10. あきらめ ‐容認
  • 11. 新しい希望 ‐ユーモアと笑いの再発見
  • 12. 立ち直りの段階 ‐新しいアイデンティティーの誕生
アルコールと保健指導
無料 メールマガジン 保健指導の最新情報を毎週配信
(木曜日・登録者11,000名)
登録者の内訳(職種)
  • 産業医 3%
  • 保健師 46%
  • 看護師 10%
  • 管理栄養士・栄養士 19%
  • その他 22%
登録はこちら

ページのトップへ戻る トップページへ ▶