オピニオン/保健指導あれこれ
「ナッジ」を応用した健康づくり 誰もが健康になる社会を目指して
杉本九実(帝京大学大学院公衆衛生学研究科)

No.2 職域や地域の運動・身体活動支援にナッジを活かすポイント -環境デザインをも視野に入れたナッジの可能性-

1 帝京大学大学院公衆衛生学研究科
2 公益財団法人 明治安田厚生事業団 体力医学研究所
杉本九実、福田吉治1、甲斐裕子2

運動・身体活動支援にナッジは効果的か

 職域や地域では、ウォーキングイベントやアプリを用いた活動量管理など、さまざまな運動・身体活動支援の活動や取り組みがあります。「健康経営度調査結果集計データ」[1]によると、運動習慣の定着に向けた支援を実施している企業は90%を超え、職域での実施率は高い傾向にあります。

 一方で、「国民健康・栄養調査(令和元年)」[2]では、運動習慣のある者の割合は、男性33.4%、女性25.1%で、この10年間、男性では有意な増減はなく、女性では有意に減少しています。
 専門職や健康づくり担当者にとっても、運動機会を増やす活動や取り組みを行ってはいるものの「運動を継続することができない」「マンネリ化で参加者が減少している」などの課題を抱えているケースも多いのではないでしょうか。


 ナッジは「人々を強制することなく、望ましい行動に誘導するようなシグナルまたは仕組み」で、人々の行動を「そっと後押し」することができます。ナッジは“行動のきっかけづくり”に大活躍しますが「継続」や「マンネリ化防止」への対策にも応用することができます。

 また、運動・身体活動支援はさまざまな健康づくりの中でも、比較的ナッジを応用しやすく、良好事例が蓄積されつつあります。


『ナッジを応用した健康づくりガイドブック』
1.食行動・食生活支援編活支援編/2.運動・身体活動支援編

ナッジを応用した「運動・身体活動支援」の取り組み事例

 今回は、ガイドブック第2弾「運動・身体活動支援編」から、運動習慣の「継続」や「マンネリ化防止」にナッジを応用した事例をご紹介します。

 従業員数40名弱の建設業では、3カ月のチーム対抗歩数競争のイベントを実施しました。7チーム(1チーム5~6人)を編成し(Social)、歩数計を配布して日々の歩数を計測・記録してもらいました。

 また、担当者が毎週集計を行って可視化し、速報値を周知しました(Timely)。歩数と生活習慣スコア(食事、飲酒、喫煙に関する)をもとに点数・順位を算出し、最も得点が高かったチームには、社長より豪華賞品を贈呈しました(Attractive、インセンティブも含)。


ナッジのフレームワーク「EAST」の枠組み

 イベント終了後の結果では、一人当たりの一日平均歩数は全チームで増加しました。また、取り組み前に生活習慣スコアが低いチームでも、取り組み後には大幅に改善していました。
 歩数の計測をきっかけに、食生活や節酒、禁煙などについても行動変容を促すことができました。

 この取り組みでナッジを上手に応用したポイントがいくつかあります。チーム対抗で実施すると、同調効果(Social)が得られやすく、集団の健康意識の向上、ソーシャルキャピタルの醸成といった副次的効果が期待できます。

 また、担当者から健康チャレンジ通信を月1回配信し、毎週の歩数データやチーム順位、従業員の声や社長・専務の直筆メッセージの掲載など、ナッジのSocialやメッセンジャー(権威者や重要な人からの情報に影響を受ける)などを活用して継続的な参加をサポートできます。

 参加状況の中だるみを防ぐため、イベント開始1カ月後および終了1カ月前に、社長や担当者からメッセージを配信(Timely)したところ、下の図のようにチームの歩数が増加しました。必要な時に適切な働きかけができると行動変容を維持することが可能なのです。


チーム別合計歩数の変化

環境デザインの可能性

 生活や働く「環境」からも私たちの行動は影響を受けます。環境からナッジされているとも言え、環境デザインを変えることで運動や身体活動量を高めることが期待されています。

 職域の事例として、ある企業ではオフィスレイアウトを変えたところ、座りすぎが減り、身体活動量が増え、1年後の健診結果に良い影響がありました。[3]

 動画を撮影して調べたところ、レイアウト変更のポイントとして、

     ① オフィス内の通路を回遊型にする(行き止まりを減らす)
     ② 窓際や入口に近い場所に共用席を増やす(部屋の中央は敬遠されやすい)
     ③ 昇降式デスクを導入する


 という3つのポイントがありました。つまり、オフィスレイアウトという物理的環境の変更が、従業員の行動変容を促したのです。[4]

 地域については、公園・歩道・自転車道などが整備されている地域の人ほど、身体活動量が多いことが知られています。また、公共交通機関が利用しやすいことや、歩いていける範囲に行き先(商店街など)が数多くあることも大切です。

 自治体の健康づくり計画や施策には、健康に関する部局だけが関わっていることが大半です。
 しかし近年は、都市計画や公共交通などの部局でも「歩いて暮らせるまちづくり」「地域の賑わいの創出」など、身体活動促進とWin-Winになれそうな取り組みが実施されており、健康と環境の両部局がタッグを組むことでそれが実現できます。

 なお、エビデンスや事例が豊富に紹介された「身体活動を促すまちづくりデザインガイド」[5]が公開されていますので参考にしてみてください。

 環境デザインは、無関心期の人を含めて全ての人に影響を与える(ナッジする)ポピュレーションアプローチです。まずは、周りをよく観察し、小さなことからでも「環境をよりよくするには?」という視点を持つとよいでしょう。

関連情報

参考文献
[1]  経済産業省「健康経営度調査結果集計データ(平成26年度~令和3年度)」
[2]  厚生労働省「令和元年国民健康・栄養調査報告」2020.
[3] Jindo T, Kai Y, et al. Impact of Ergonomics on Cardiometabolic Risk in Office Workers: Transition to Activity-Based Working With Height-Adjustable Desk. J Occup Environ Med, 63(5), e267-e275, 2021.
[4] Jindo T, Kai Y, et al. Impact of Activity-Based Working and Height-Adjustable Desks on Physical Activity, Sedentary Behavior, and Space Utilization among Office Workers: A Natural Experiment. Int J Environ Res Public Health. 17(1), 236, 2019.
[5]  樋野公宏, 石井儀光, 野原卓, 花里真道, 吉田紘明 「身体活動を促すまちづくりデザインガイド」2022.

著者プロフィール

  • 杉本九実、福田吉治1、甲斐裕子2
    1 帝京大学大学院公衆衛生学研究科
    2 公益財団法人 明治安田厚生事業団 体力医学研究所


    杉本 九実

    帝京大学医療技術学部看護学科 非常勤講師
    帝京大学大学院公衆衛生学研究科 博士後期課程
    株式会社PONO 代表取締役
    保健師、看護師、第一種衛生管理者、公衆衛生学修士(専門職)
    順天堂大学医療看護学部卒業。
    順天堂大学医学部付属順天堂医院等を経て、株式会社PONO設立。開業保健師として、企業等の産業保健活動のコンサルタントや実務に従事。



    福田 吉治

    帝京大学大学院公衆衛生学研究科 教授
    医師、医学博士、産業医
    熊本大学医学部卒業。
    公衆衛生全般、特に、ヘルスプロモーション・健康教育、健康政策、社会疫学。国保中央会国保・後期高齢者ヘルスサポート事業運営委員会委員、東京都国民健康保険連合会保健事業支援・評価委員会委員などで、データヘルス計画、特定健診等の支援に従事。



    甲斐 裕子

    公益財団法人 明治安田厚生事業団 体力医学研究所 上席研究員
    博士(人間環境学)
    筑波大学大学院体育研究科修了、九州大学大学院人間環境学府修了
    2004年より体力医学研究所に勤務、2020年より現職
    専門は運動疫学、健康教育学、産業衛生学、公衆衛生学
    主な研究テーマは、運動と座りすぎの健康影響の解明、ポピュレーションアプローチによる身体活動促進および座りすぎ是正対策の開発で、企業や自治体との共同研究を多数実施。

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