「ナッジ」を応用した健康づくり 誰もが健康になる社会を目指して
杉本九実(帝京大学大学院公衆衛生学研究科)
No.4 最大の難問・喫煙対策にナッジでどう挑むのか -JASTIS研究からみえる喫煙対策のすすめ-
1 帝京大学大学院公衆衛生学研究科2 大阪国際がんセンターがん対策センター疫学統計部
杉本九実、福田吉治1、田淵貴大2
喫煙対策はナッジの視点で見直しを
健康増進法の改正に伴い、2020年には職域や地域で受動喫煙防止対策が義務化されました。[1]
労働安全衛生調査(実態調査)によると、職場で受動喫煙機会がある労働者の割合は減少傾向にあり、職域における受動喫煙環境は改善されつつあります。[2]
一方で、受動喫煙防止を目的に環境改善したとしても、喫煙者に禁煙してもらうのは容易ではありません。専門職は日々、何とか喫煙率を下げようとさまざまな対策を試みてはいますが、なかなか結果に結びつかないことも多いです。まさに、喫煙対策は保健活動の中でも最大の難問なのです。
職場で受動喫煙がある労働者の割合の推移
そういうときこそ、これまで行った喫煙対策をナッジの視点で見直し、応用してリニューアルしてみましょう。ナッジを応用するには、
① 先行事例を横展開する
② ナッジの視点から見直しと改善を行う
③ アイデア出しから取り組みを立案・実施する
といった3つの方法があります。すでに取り組んでいる喫煙対策には、2つめの応用方法「ナッジの視点から見直しと改善を行う」が適しています。
まず、ナッジのフレームワーク「MINDSPACE」や「EAST」をもとにしたチェックリストで、ナッジの視点から喫煙対策を全体的にチェックし、衛生委員会などの機会を活用して皆で見直し、改善に向けたポイントを話し合います。
そして、チェックリストで含まれていなかったナッジの要素を取り入れ、改善策を考えてみると案外リニューアルできるポイントが見つかるはずです。応用方法やチェックリストは「ナッジを応用した健康づくりガイドブック」をご参照ください。
ナッジを応用した「喫煙対策編」の取り組み事例
最も効果が期待できて影響力がある喫煙対策は、組織として大々的に取り組むことです。今では喫煙者を採用しない会社が増えつつありますが、その先駆けとなったのが、星野リゾート社です。
星野リゾート社の採用募集ページでは、喫煙者や禁煙の意志がない人はエントリーできないようになっています。まさに究極のデフォルト(初期値設定)と言えます。
また、会社で最も影響力のある社長からの「喫煙者0(ゼロ)宣言」や企業理念に基づいた労働者の行動規範の提示(メッセンジャー、規範)などは、労働者だけでなく外部へのメッセージにもなるため、企業価値の醸成にもつながります。
対象者個人へのアプローチも重要です。例えば、
・喫煙者には健診後に必ず5分程度の禁煙指導を受けてもらう(デフォルト、規範)
・禁煙成功者のみではなく非喫煙者に奨励金を贈呈する(インセンティブ)
・「只今、禁煙チャレンジ中」といったメッセージがデザインされた名刺を使用したりIDカードに禁煙シールを貼ったりして周囲に分かりやすいように禁煙宣言をする(コミットメント)
などの応用もあります。
喫煙対策は我慢を強いられるイメージがあるため、少し斬新で、面白さがある取り組みの方が対象者にとっても受け入れやすいでしょう。
ナッジを応用した健康づくりガイドブック
-取組に活かすヒントと好事例集-喫煙対策編
JASTIS研究からみえる喫煙対策のすすめ
職場における受動喫煙防止対策の義務化は、禁煙「場所」にアプローチすることで、受動喫煙を減らすことを目的としています。
一方、禁煙「時間」はどうでしょうか。職場での喫煙「時間」ルールについては法規定がなく、各企業に任せられています。
意外なことに、喫煙「時間」ルールと喫煙の関連についてはほとんど研究されていません。そこで、JASTIS研究2020年調査データを用いて、喫煙「時間」に着目し、就業時間中の喫煙可能・禁止のルールの有無によって、喫煙率がどのように変わるのかを検証しました。[3]
JASTIS研究(The Japan “Society and New Tobacco” Internet Survey)とは、日本における紙巻きタバコ・新型タバコの使用状況や規制のルール、健康影響等について実態把握することを目的としたインターネット縦断調査研究プロジェクトで、今回の分析対象は、就業時間中の喫煙ルールに回答した労働者約4,000名です。
結果は、就業時間内に喫煙可能な職場と比べて、ランチタイムも含めて就業時間内喫煙禁止の職場は紙巻きタバコが57%、加熱式タバコが39%と、ともに使用を減らすことが分かりました。また、就業時間内は禁煙がルールであっても、ランチタイム中の喫煙を許可すると、関連は弱まり、紙巻きタバコの使用が16%減り、加熱式タバコ使用が15%増えていました(ただし、統計学的な有意差はなし)。
職場での喫煙対策には、場所だけでなく、時間を考慮した禁煙ルールも有用で、ランチタイムや通勤時間も禁煙とすることが望ましいでしょう。
ランチタイム喫煙禁止の有無によるタバコ使用率の違い
ランチタイムも含めた禁煙ルールの導入は、ナッジとして機能することが期待されます。企業が禁煙推進に取り組んでいても、ランチタイムに喫煙ができるようなルールであれば効果を発揮し切れないかもしれません。あるいは、禁煙「時間」のルールをしっかりと導入すれば、労働者の健康をより改善できる可能性があります。
JASTIS研究では喫煙対策に関する実証研究を行い、エビデンスに基づいて政策を立案していくことに貢献したいと考えています。共同研究者も募集中ですのでご興味のある方はウェブサイト「JASTIS研究」までご連絡ください。
連載のおわりに-ナッジは魔法ではない
全4回にわたって、ナッジを応用した健康づくりについてお話しました。振り返ってみると、それらは全く目新しいものではなく、私たちの生活や仕事の中にすでに存在していることにお気づきの方も多いのではないでしょうか。
研修会などでナッジの話をしていると、「ナッジは魔法のよう」、「ナッジを応用すればどうにかなるのでは」などのご感想をいただくことがあります。残念ながら、ナッジは魔法でもなく、万能でもありません。人々の行動をそっと後押しする一手法にすぎないのです。
ナッジを効果的に機能させるためには、基本となる従来からの行動科学もしっかりと学ぶ必要があります。ナッジが専門職にとってのひとつのスキルとなり、その他さまざまな手法を適材適所で活用して、職域や地域の健康づくりがさらに進むことを期待しています。
関連情報
参考文献
[1] 厚生労働省「健康増進法の一部を改正する法律(平成30年法律第78号)」
[2] 厚生労働省「労働安全衛生調査(実態調査)」平成28年~令和3年
[3] Miyazaki, Y., & Tabuchi, T. (2022). “Time-based” workplace smoking bans during working hours (including and excluding lunchtime) and combustible cigarette and heated tobacco product use: a cross-sectional analysis of the 2020 JASTIS study. Preventive Medicine Reports, 29, 101938.