オピニオン/保健指導あれこれ
保健師の活動と放射線について
No.12 保健師と看護学生に放射線を教える・学ぶ
2016年04月27日
小西恵美子
長野県看護大学名誉教授、
鹿児島大学医学部客員研究員 |
経歴:
長野県松本市出身。 東京大学医学部衛生看護学科卒、医学博士、看護師、保健師、第一種放射線取扱主任者。 東京大学原子力研究総合センターで放射線健康管理の実践・研究。ここで看護師の放射線教育に関わった後、東大病院内科看護師、長野県看護大学、大分県立看護科学大学、佐久大学の教授を歴任。 専門は看護倫理と放射線看護。 |
健康危機管理と保健師
放射線の安全管理の基本は放射線発生源の管理にあります。放射線施設は全国津々浦々にありますが、通常は施設の中で安全管理が完結するように、法令に基づく管理が行われています。しかし、発生源管理に失敗すると、事故。事故が施設内ではおさまらず外の環境や住民を巻き込むと、災害。災害時には、保健師は健康危機管理の重要な担い手として行動することが求められおり、それには、放射線と被ばくに関する極く基本的な知識が必要です。保健師の大きな強みは日常の実践で培ってきた対話力を持っていることで、放射線と被ばくに関する極く基本的な知識はその裏付けとして不可欠です。
看護アドボカシーと保健師
住民は放射線についての噂や誤解に影響されているのがほぼ常です。原発事故のあと、鼻血や下痢、ケイレンといった情報が飛び交い、マスコミもそれに加担しました。放射線が原因だというのです。これは全くの誤りで、住民が浴びたり取り込んだりした程度の線量では、そのような健康障害は絶対に起こりません。保健師にとってそういった誤解が無視できないのは、人々がそれらの症状をすべて放射線のせいだと思うことで、もっと重要な健康問題を見逃したり、新たな問題を引き起こす可能性があるからです。
最近のテレビでは、福島から他県に移住している母親が、子どもがケイレンを起こして鼻血が止まらなくなり、母性本能から放射線を避けなくてはと考え、子どもと引っ越したと涙で語っていました。ご主人は福島に残った由で、別居が続くうちに連絡が途絶え、結局離婚になったとのことでした。
私は、もしその母親が移住を決める前に保健師に会っていたなら、と思わずにはいられませんでした。保健師が母親に真摯に向き合い、「お母さん、今回の事故による線量で住民にそういう症状が出ることはありません。もしかして、お母さんの不安や心配がお子さんに伝わってそういう症状に関係しているのかも知れませんね、一緒に考えてみましょう」と、しっかりと対話をしていたならば、事態はどうだったであろうかと。
住民の自主避難は当人の自己決定で他人が関与することではないという人もいるでしょう。しかし、この重要な自己決定に誤った認識が介在しているならば、正しい情報を伝えるのが健康専門職の役目です。これは決定の誘導ではありません。正しい情報を伝え、その上で、ご当人の選択に委ねるのです。
看護の重要な役割であるアドボカシーは、ケア対象者が健康や生活に関わる適切な自己決定ができるように、正しい情報を伝え、支え、守る働きを看護職者に求めます。その役割を果たすには、目の前の対象者が持つ誤った認識に気付くことのできる知識と、誤りを正す勇気、そしてスキルが必要です。
このシリーズのテーマは、保健師は放射線防護文化の担い手であるということでした。看護アドボカシーはそのベースではないでしょうか。
実践者・学生に放射線を教える・学ぶ
本シリーズでは、私たちが福島で行ってきた多職種協働実践を記してきました。現地の保健師が実施している母子教室や高齢者クラブなどの保健事業に放射線ミニ講座を組み込んでもらい、住民と沢山の対話をし、放射線とその健康影響について正しい情報を伝え、誤解を正しました。
- 知識源はマスコミだけだった。私たちはただ恐がっていた
- 自然放射線があることすら知らなかった
- ゼロリスクなんてありえない。福島の農家・漁師のご苦労を考えたい
- 実習で福島に行くので地元の放射線データを使って住民ときちんと話をする
- 放射線について、人々に正しい知識を伝えるのは保健師の役目だ
放射線と被ばくに関する極く基本的な知識
多くの人々は、被ばく線量を無視して放射線影響を怖がっています。しかし、放射線影響に関しては、人を対象とした客観的なデータにより、線量と健康影響との関係が明らかにされています。これは他の環境要因にはない放射線の特徴です。次のことをしっかりと抑えておきましょう。
1)がん以外の放射線影響にはしきい値がある
しきい値とは、放射線影響が現れる最低の線量のことです。それより線量が低ければ、影響の発生はゼロです。がん以外の身体的影響の発生にはすべてしきい値があります。
しきい値はどこに被ばくしたかによって異なり、最も低い値は100ミリシーベルトです(表1)。したがって、100ミリシーベルト以下では、上述の子どもの鼻血等も含め、身体的影響の心配は全くないのです。
表1.被ばく部位と影響およびそのしきい値
(国際放射線防護委員会2007年勧告から抜粋・一部改変)
2)がん発生にはしきい値がないと仮定する
がんについては、原爆被ばく者等多数の人々の疫学調査から、100ミリシーベルト以下では統計的に有意ながん発生は認められないことが分かっています。そこで、100ミリシーベルトをがん発生のしきい値と見てよいのかもしれません。しかし、放射線防護の目的では、がん発生にはしきい値はないと仮定することにしています。
しきい値がないと仮定することで、「放射線はどんなに微量でも危険である」という表現で説明する人がいます。しかし、この表現は誤解の原因となり、また、人々に過大な不安を抱かせることがあるので注意する必要があります。
放射線防護で用いられている基準値は、がんについてはしきい値がないという仮定に立ち、基準値を守れば放射線安全を保つことができるということで決められているものです。
住民への相談・説明では、これらの基本を押さえた上で、人間が自然放射線から浴びている線量(1年間に平均2ミリシーベルト)、および、今回の原発事故による周辺住民の被ばく線量のデータ(自治体ホームページに公開)を用いるとよいと思います。
(国際放射線防護委員会2007年勧告から抜粋・一部改変)
終わりに:保健師によるリスクコミュニケーション
福島の事故では、いわゆる「専門家」によるトップダウン的なリスクコミュニケーションは失敗し、専門家と非専門家とのギャップを埋めることができなかったと言われています。理想的なリスクコミュニケーションは、住民との信頼関係と対話をベースとした保健師の日常実践の中にあると私は考えております。
保健師は放射線の専門家ではないし、住民の相談にひとりでは答えられないことも当然あるでしょう。その時、専門家に答えてもらうという仲介型の対応(当シリーズ第6回参照)は最小限にし、わからないことを専門家にきいたならば、それを住民の立場になって咀嚼して、保健師の言葉で住民に伝えることが大事だと思います。保健師はいつも住民目線に立っているので、その説明が住民には一番わかりやすいからです。福島での協働実践をとおして、私たちはそう確信しています。
文献1)Kawasaki C. et al. (2015) Public health nurses' experiences in caring for the Fukushima community in the wake of the 2011 Fukushima nuclear accident. Public Health Nursing, DOI: 10.1111/phn.12227.
2)E. Konishi et al. (2016) Post-Fukushima radiation education for public health nursing students: A case study
「保健師の活動と放射線について」もくじ
- No.1 原発事故後の復旧期における保健師活動―放射線防護文化をつくるために
- No.2 保健師活動に必要な放射線に関する基礎知識とは
- No.3 保健師の実践へのヒント(1) ベラルーシ視察報告から学ぶ
- No.4 保健師の実践へのヒント(2)川内村における放射線専門保健師の活動報告
- No.5 保健師の実践へのヒント(3)住民への放射線に関する支援(相談・教育)
- No.6 放射線と公衆衛生看護
- No.7 対象別協働実践報告(1) 母子
- No.8 対象者別協働実践報告(2) 高齢者
- No.9 対象別協働実践報告(3) 精神・社会的弱者
- No.10 対象別協働実践報告(4) 学校との協働実践
- No.11 保健師の健康支援に必要な情報と媒体
- No.12 保健師と看護学生に放射線を教える・学ぶ
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