オピニオン/保健指導あれこれ
はじめて「産業保健師」として働く人へのエール

No.3 「自分は何者であるか」 はじめて産業保健師として働く人に伝えたいこと

独立行政法人 労働者健康安全機構 大阪産業保健総合支援センター
鈴木 純子

産業保健師を目指したきっかけ

 「はじめて産業保健師として働く人」と言っても、大学や専門学校などを卒業し資格を取ったばかりのフレッシュマン、臨床の経験を重ねた後に入られた方、行政・学校・施設など産業保健以外で保健師業務を経験されてこられた方など様々だと思います。

 皆さんはどのようなルートで産業保健師になりましたか?そもそも産業保健師を目指した動機やきっかけは何でしたか?臨床で得た経験から産業保健の必要性を感じた方、結婚や出産を機にライフスタイルを変えたいと思った方もいらっしゃるかと思います。

 どのようなきっかけであってもせっかく産業保健師になったのですから、この機会に経験と学びを深めていくと、その後の仕事やプライベートで役立つ機会があると思います。

挑戦し続ける気持ちを大切に

 私自身の経験を少しお話しさせていただきます。看護系短大を卒業後、小児外科、子どもの精神科で臨床を経験していました。そのときは、この先ずっと病気の子どもに関わっていくと思っていました。

 当時の子どもの精神科入院ケースは家庭内での問題が原因で病気を発症していることも多く、退院後、行政保健師に引き継いでも訪問サポートは少なく、再入院を繰り返すケースが多くみられました。現状を目の当たりにする中「退院後のサポートに関わりたい」と思ったことがきっかけで、保健師の資格を取って行政保健師を目指しました。

 ところが、産業保健師の友人から保健師を探しているので受験してほしいと頼まれ、数合わせの受験だったはずが、気がついたら企業に就職するという、予定とは異なる道に進んでいました。その頃、産業保健師はメジャーな仕事ではなかったこと、インターネットというツールもなかったことから、右も左も分からないまま産業保健の世界に足を踏み入れました。

 勤務地は「花の六本木」でしたが、自宅から片道2時間の通勤で花を咲かせている時間はありませんでした。1年後には自己都合で大阪事業所に異動し、山あり谷あり、気が付けば30年勤務し定年を迎え、現在に至るという所です。 まさか、たいした知識もなく踏み入れた産業保健の世界でこんなに長く働き続けるとは夢にも思っていませんでした。

 産業保健は“沼”です。奥が深く学ぶことだらけで、またそれが面白いんですね。ついついはまってしまいます。机上の勉強だけでなく、学会や研修会への参加、そこでの人との出会い、つながりもとても大切です。それだけではなく、自分の人生の経験、成功も失敗も含めてすべてが勉強であり、産業保健師という仕事にも活かされると思います。

 皆さんに伝えたいことは、きっかけやルートは何であれ、せっかく興味を持って産業保健師になったのですから、色々な事にどんどん挑戦していただき、産業保健の沼にはまって欲しいということです。そして、現場を極める方、研究を極める方、様々な方向に皆さんの活動が発展してくれれば嬉しく思います。

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