オピニオン/保健指導あれこれ
住み慣れた地域で最期まで暮らすことを目指した「暮らしの保健室」~医療・看護・介護を通じた住みよいまちづくりの試み~
No.8 「病気や障害を抱える利用者と介護者を支える」訪問看護ステーションと保健室の関り
看護師、社会福祉士、介護支援専門員、MBA(経営学修士)
2020年05月21日
訪問看護ステーションと暮らしの保健室の両方で関わるケース
訪問看護ステーションは1891年の事前看護婦会の派出看護を起源とし、1982年老人保健法の制定のもと、1992年の在宅寝たきり老人に対する老人訪問看護ステーションが開始されています。 2018年では全国で10418箇所(※1)のステーションが開設され、約42万(※2)の訪問看護利用者がいます。 訪問看護の利用者の特徴は医療ニーズの高い人、がん末期、重度の要介護の人、認知症の人、精神疾患を持った人、小児(超重症児・準超重症児・医療定期ケア児)、一人暮らし・高齢者世帯、多問題を抱えた人などです。 それぞれの生活基盤である暮らしの中に入り込んで看護を提供し、その人だけでなく家庭そのものを対象としています。 当保健室を運営する法人は平成6年に訪問看護ステーションを開設し、介護保険制度が施行される前から寝たきり老人や障がいのある方や難病患者の在宅療養を支援してきました。現在も介護保険制度の利用者だけでなく医療保険制度の対象となるがん末期や神経難病、小児の訪問看護を実施しています。 最後までその人らしい生活が継続されるよう地域包括ケアシステムにおける体制づくりなど地域全体を通して住みよい街づくりに貢献しなければならないと考えており、暮らしの保健室の活動と目標を共有しています。働き盛りのがん末期療養者の支援
ある日、Aさんの妻が知人の紹介で暮しの保健室に訪ねてこられました。保健室スタッフは、知人の方から「ご主人が末期のがんで近々家に帰ることになっているらしいが奥さんはとても大変そうだから話を聞いてあげてほしい」と聞いていました。 妻は、夫の終末期をある程度受け入れているようでしたが、自分がパート仕事を辞めて看病につきたいと思っているのに夫が「仕事を辞めてまでついていてもらわなくてもいい」と言っていることに対して理解できず苦しい気持ちでおられました。どうしたらいいかわからないと泣きながら話してくれました。 これまでのいきさつやご主人との結婚生活、子どもたちの現状など、ただただ話を聞いているだけで少しずつ何が問題なのかが整理されてきました。 Aさんには大学1年生、高校1年生、小学校3年生の男の子が3人おり、それぞれが学校を卒業するまで見届けたい気持ちと妻に託さなければならない現実との合間で苦しい思いがあったことでしょう。 子どもの将来のことを考えると経済的な心配はご主人の大きな悩みでもあったと思われ、だからこそ妻の仕事が大切で例えパートであったとしても辞めずに働き続けてもらうことがご主人の安心にもつながっていたのだとわかりました。 それ以降は訪問看護ステーションから看護師が自宅を訪問してAさんへの看護を提供し、家族に見守られながら終末期を過ごされ穏やかな見取りとなりました。妻の介護だけでなく3人の子どもたちとの大切な時間を過ごしてもらえるように関わり、家族の心のケアもしていきます。 Aさんが亡くなられると訪問看護は終了しますが、暮らしの保健室でグリーフケアを実施することができました。他の利用者の家族も含め、数名の看取りを体験された家族同士が思い出を語りあい、良かったことや心残りに思うことなどを順番に話していきます。 Aさんの妻は「主人が亡くなった後、正職員にしてもらい頑張って忙しく働いています。これも主人のあの時の仕事を辞めなくてもいいと言ってくれたおかげです。」と話され、涙ながらに今の想いを吐露し、皆さんから暖かい励ましや言葉をかけられ少しずつ現実を受け入れるように導かれていきました。 ご本人に対する訪問看護ステーションの看護は終わりますが家族への支援はこれからも必要で、家族を支えることは地域全体を見渡し、必要なケアを継続的に提供していくことだと思います。終末期の高齢者世帯への支援
Bさんは92歳の男性で、要介護5の重度の介護が必要な方です。主病名はCOPDで、常に在宅酸素が必要な状態でした。この時、Bさんは重度の肺炎で病院に入院していましたが状態はあまり良くなく、ターミナルに近い状態でした。 ご本人は「家に帰りたい」とおっしゃり、妻も「あまり長い命ではないのであれば本人の希望通り家に連れて帰ってあげたい」とのことで退院時カンファレンスは在宅療養に向けた調整となり、数日後には退院となりました。 ところがある日、Bさんの妻が暮らしの保健室にやつれた表情で来られ、保健師に泣きながら「夫がわがままでもう限界です。こんななはずじゃなかった、もう介護を続けていくことはできない。私も夜も眠れず辛くて、辛くてこんなことならもう一度入院してもらわないと・・・」とのことでした。 Bさんと妻には60代の障害のある娘さんがおり、娘さんにも手がかかる上、Bさんが自宅に戻ってからは病院では言えなかった苦痛や不快に思うことをすべて妻にぶつけていたため、妻は非常につらい立場に追い込まれていました。 保健師はしっかり妻の話を傾聴した上で、辛いことを少しでも改善できる方法は無いか、すぐに訪問看護ステーションへ連絡を取り、保健室での訴えを伝え、一解決できる方法を相談しました。 Bさんは病院から帰るとき介護保険を利用して介護ベッドを利用しましたが住み慣れた自宅で病院と同じようなベッドに寝なければならない苦痛がありました。また、排尿のためのバルンカテーテルが留置されており、トイレにも行けず、不快感がずっと続き妻に当たり散らすことでバランスをとっていました。 そこで訪問看護師から病院、かかりつけ医と相談し、バルンカテーテルを一旦抜去し、また低床ベッド に変更することで少し落ち着くことができました。 介助で布団から離れ、座りなれた椅子に座ることができ、人としての尊厳を取り戻すことができました。保健室では妻の不安やしんどさをじっくり丁寧に聞くことで心身の安定を取り戻すお手伝いをさせていただきました。 Bさんが落ち着くことで妻の介護負担は軽減され、在宅療養は継続され、自宅で亡くなることができました。Bさんの妻は今でも時々保健室に来られ、寂しくなったこと、娘との生活の現状など保健師が相談を受けています。 住み慣れた場所で最後まで自分らしく生ききることは望ましいことではありますが、その実現のためには本人家族の覚悟と様々なサービス、インフォーマルも含め、支え合うことが必要だと感じています。多様な人を支える看護師、保健師は地域で暮らす人々を支えることに生きがいややりがいを持って活動しています。「住み慣れた地域で最期まで暮らすことを目指した「暮らしの保健室」~医療・看護・介護を通じた住みよいまちづくりの試み~」もくじ
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