日本の元気を創生する ‐開業保健師の目指していること‐
一般社団法人 日本開業保健師協会
No.9-1 ナースの笑顔と子育ての楽しさ広がる社会を目指して( 株式会社 イマココ・クリエイト)
(株)イマココ・クリエイト代表取締役/ (一社)国際ナーシングドゥーラ®協会代表理事
渡邉 玲子
起業という働き方はいかがでしょうか?
こんにちは。
開業保健師に関心のある皆様、また、地域母子保健サービスに関心があるみなさま。日本開業保健師協会の理事・渡邉玲子です。
私は東京の下町・江東区で株式会社イマココ・クリエイトという産後ケア会社を経営しております。私が起業した当時は、地域母子保健サービスは無料が当たり前、公的サービスやボランティアが当たり前でした。育児相談やお茶会・ランチ会を開催しても、ほんのわずかの参加費をいただくだけでもお客様はもちろん同業者からも批判を受けました。
でも、安心してください。私たち日本開業保健師協会が全国展開して早6年。
もう大丈夫です。日本の全てのこどもがすくすくと育つよう、また、子育ての楽しさ広がる社会づくりのために、あなたの素晴らしい看護力を試してみませんか?
保健師は地区診断と称してニーズ調査の方法を学んでいます。また、日常の業務で感じている保健衛生領域の課題解決のために新規事業をされていると思います。
しかし、大きな組織の中では、なかなかご自分のアイデアを形にするのは難しい。鋭い感性で多様なアイデアを温めておられるあなたこそ、起業という働き方はいかがでしょうか?
試行錯誤の楽しさ
地域では公的サービスと大企業による母子保健サービスが主流です。しかし、多様化する子育て世帯のニーズに対応するには、赤ちゃんもママもご家族みんなの健康を公的私的サービスの使いかたを紹介しながら支援できるナーシングドゥーラ®は必要。看護職の強みを生かす新しい地域母子保健サービスです。
私自身、経営の素人でしたので全て一からスタートでした。サービスの内容も価格も、提供方法も宣伝方法も、初めは起業支援やコンサルティング、ビジネスコンテストにも参加して勉強しました。ただ、どんなアドバイスを頂いても最終的には自分で納得し、自分で決めて、自分で責任をもち、自分で進むのが起業です。先輩方からは、いろいろアドバイスをいただくことはできますが、最後は自分しかありません。ああでもない、こうでもないと、ひとつずつ試行錯誤しながら前に進みます。もちろん、一人で立って歩けようになったら、誰かと一緒に歩くこともできます。これは組織では味わえない楽しさです。諦めなければ成功しかない。これは私が大好きな言葉です。
なぜ、「産後ケア」なのか??
私はもともと訪問看護に関心があって看護の道に入りました。親友の父親が在宅療養していたからです。
しかし、時は24時間訪問看護の時代の幕開け。小さいころから病弱だった私には夜勤をこなす自信はありませんでした。
自らの産後はまさに「ワンオペ」。転居したばかりの知らない土地で本当に孤独でした。我が家に来た新生児訪問指導員は、私が保健師だと知ると、体重測定もそぞろに帰られました。さらに、乳児健診でも。私の頭の中は不安でいっぱいなのに誰もわかってもらえないと思う気持ちと「看護職なのに育児が学んだようにできない。」という自責から、しばらく閉じこもりの生活を送っていました。
しかし、この孤立を予防できないものかと思う「ちょっと冷めた自分」と「保健師魂」は持ち合わせていました。
北欧の産後ケア
夫の仕事の関係で暮らした北欧での産褥訪問看護との出会いは目からウロコでした。
出産後3日目くらいで退院、母子の世話は育児休暇を取得したパートナーが担当。そのパートナーをサポートするために退院後すぐに産褥訪問看護職が連日家庭訪問します。そして、OJTで夫婦に育児や産後の食事のアドバイスをするのです。なんとそれに使われていたのは日本の糖尿病食献立表でした。
「北欧の男性はイクメンと言われていますが、初めからみんなイクメンではなく、産後家庭に私たちが行くからなのよ。」と教えてくれたのは地域看護師のハンナさんでした。産後間もない時期は男性も父性が花開くゴールデンタイムなので、妻から言われるのではなく、看護職から指導されると主体的に動ける父親になるというのです。ハンナさんはとても自慢げに話してくれました。
私が公園で育児の悩みを話すと、どのママもパパもハンナさんを紹介してくれるほど街じゅうの人がハンナさんを信頼しているのです。
産後ケアでできた看護職との信頼関係が街全体に広がっていました。私が起業したのはナースの笑顔と子育の楽しさ広がる地域社会をつくりたいとからです。
スウェーデンはベビーファースト社会。子どもの育ちを社会全体で支える仕組みがありました。中央は心臓外科医のママ友。左は育休中パパ、右は住込シッター。日本人は私と三人の子どもたちです。